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  • 2013.04.09 Tuesday

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    夜はやってくる

    • 2013.04.09 Tuesday
    • 23:01
    毎日に、余裕がなくなってくる。気持ちに余裕がなくなってくる。 できることから、こなして、リズムに乗っていける、という気持ちでいけたら。 燃え尽きないためには、心のエネルギーの循環が大切らしい。 自分を消費して、回復して、繰り返す。 とりあえず、夜はやってきて、それから朝がやってくる。 夜はやってくる。それが救い。

    直感

    • 2013.04.07 Sunday
    • 09:40
    睡眠がだいじだということは、なにかを読んでたしかめるまでもなく、体がそれを知っている。 本をよむのは、直感で自分が感じたことを、確信にするということである、ともいえる。 なぜ、直感でわかってるものを、わざわざ確かめなければいけないのか。 それは、自信がないから。人と違う考え、多数派と違う考えを貫くための根拠として、直感というのは心細い。 言葉になる前に、わかっていることを、言葉にしていく。 言葉がなくては伝わらないが、感じることがなくては、伝えることがない。

    記憶。おもしろさ。

    • 2013.04.03 Wednesday
    • 16:26
    記憶には3種類あるらしい。知識記憶と、経験記憶と、方法記憶。知識記憶は、ただの記号としての記憶。経験記憶は、感情に結びついた経験としての記憶。方法記憶は、ごはんの食べ方、車の運転の仕方など、方法に関する記憶。 方法記憶は、もっとも強く、原始的な記憶だ。身体にしみこんでいる。無意識の領域。頭よりも、身体で覚える。 小学生くらいまでは、知識記憶でものをよく覚える。掛け算の九九が覚えられるのも、小学生まで。小学生は、丸暗記のスペシャリスト。 中学、高校生くらいから、知識記憶では覚えが悪くなる。そのかわり、経験記憶での覚えがよくなる。つまり、感情に結びついた記憶。喜怒哀楽、そして、おもしろい、という感情。それらに伴って記憶されたものは、とてもよく記憶される。これは、大人になってもずっとそうらしい。昨日の朝ごはんは思い出せないが、数年前のあの日の大切な人との幸福な朝ごはんになにを食べたかは思い出せるというように。 高校の勉強では、おもしろい、と思えるかどうかが明暗をわけるのだろう。理数科目で、理屈をわかるおもしろさもあれば、文系科目で、社会、世界の問題、課題、実相、人の考え、思想、歴史に触れて、感じるおもしろさもある。 それぞれの科目に特有のおもしろさがある。 おもしろさ、というのは、偉大なことだ。

    理屈っぽさ

    • 2013.03.28 Thursday
    • 19:23
    頭でっかちになってはいけない。理屈っぽいと、社会では通用しない。社会に適応して、我慢して忍耐して努力して社会人としてがんばらなきゃいけない。 というが、我慢する、滅私の精神、それこそが、頭でっかち、理屈っぽいということなんじゃないか。身体と心がNoと言う、そのサインを無視し続けた犠牲の上に、日本型工業社会は繁栄した。 いまその日本型工業社会は破綻した。我慢すれば得られるレールにのった安定などない。家族も会社もあらゆる共同体はグローバル化による多様性がもたらされたことで崩壊した。権威は解体された。もう失墜した権威をもって若者に説き伏せようと大人がしても、効果はない。効果がないから、暴力でそれを埋めようとするが、問題はさらに悪化する。 多様化して、ばらばらになった社会で、新しい権力、新しい法を創る。それが民主主義のゆくえ。 忍耐力より創造力。 頭よりハート。

    勝利至上主義

    • 2013.03.26 Tuesday
    • 18:27
    勝ちにこだわる。その点で、お遊び運動サークルとは違う。苦しいことを経て、人は成長する。苦しみがなければ成長はない。成長するためには苦しめ。つまり、運動部に入りなさい。 体罰がよくないと、報道されている。話題になっている。なぜよくないのか。怠けている人間に身体で教えることのなにがよくないのか。そこでしつけてやらないと、本人が社会にでてから困るだけだ。体罰は、愛の鞭だ。苦しいことをへて、人は成長する。 苦しいことを経ないと、人は成長しないのだろうか。苦しいことを経ると、人は成長するのだろうか。苦しいことと、成長すること、大人になることは、どうして一緒にされるのだろうか。 苦しさは、他人に強いるものではない。自分に課すものだ。 いかなる理由があれ、他人に苦しいことを強いることは、いいことではない。

    豊かさ

    • 2013.03.24 Sunday
    • 13:51
    自分の豊かさは、自分で見つける。そんなことが、必要になってくる。お金をもっていることが、豊かさである、という時代は終わろうとしている。豊かさのゴールは、自分で見つけていかなければいけない。 安定していたものがゆらいだ。不安定になった。 いままでそれを安定させていたものでは、もう安定しない。戻る道はない。進む道は暗い。 豊かさは、自分で見つける。だから、だれかのわがままに我慢して生きるより、自分のわがままを認め、だれかのわがままも認めていかなくては。忍耐の先にあった豊かさは、もうない。いまここに必要なのは、自由と、それを貫く覚悟。 権力が失墜したなら、新しい権力を創造すればいい。多様な個が、民主主義の名の下に、集う。In the name of democracy。 豊かさは、自分で、自分たちで見つける。それを上から押し付ける権利はもう誰にもない。

    身も蓋もない

    • 2013.03.18 Monday
    • 15:42
    あたりまえのように、誰が言っても、社会通年的に、「いいこと」「正しいこと」を、すべきだ、守るべきだ、しないのはよくない、とはずかしげもなく語る人がいる。 余計なお世話である。 返す言葉があまりない。 「そんなの身も蓋もないよ。あたりまえに正しいこと言っても、それはなにもいってないのと同じだよ。」と言ったところで、正義に燃える心に焼け石に水である。ぶつぶつカニの念仏を唱えるのがやっとだ。 全裸というのは、もうそれ以上脱ぎようがない。身も蓋もない。そこに奥ゆかしさ、エロさはない。 うんぬんすべき、と正義を主張するのは、全裸みたいなものだ。奥ゆかしさがない。あんまり意味がない。 ただ、正しいことに全く従わないのもよくない。おとしどころ、バランス、が、結局大事なのだろう。

    ジャケ買い

    • 2013.03.18 Monday
    • 15:19
    レコードをジャケ買いすることがある。見て、パッと、これだ、と思うものを買う。アタリのときもあるし、そうでもないときもある。何回か場数を踏むことで、上達してきた気になったりする。ジャケ買い、という選び方は、誰かの入れ知恵や流行りではなく、自分で買った!、という気になる点、よいと思う。 婚活、就活、いろいろやっているが、多くの選択肢からベストなものを選ぶのは難しく辛いということがそれらの活動の熾烈さから伺える。自分を分析し、市場を分析し、コンサルうんぬんのアドバイスをきき、これだ、と選んでも、「あんまりよくない。もっと自分にあったのがあんじゃないかしら」と苦悩は続く。挙句は、いいものに巡り合えないのは自分が下劣だからだと卑屈になり、ブラックな企業や結婚相手を甘んじて受け入れてしまう。 そんな苦悩も、ジャケ買いをすればなくなる。つまり、直感に従う。Follow your heart. ジャケ買いは、いいかげんな決め方のようでいて、一番正確さのある決め方なんじゃないだろうか。それに、内なる声、直感に従ってきめたのなら、ハズレでも責任は自分に帰する。自分の直感を高めるように、心を大事にするように、改善していけばいい。ハズレでも、未来につながる。 ジャケ買いをかるんじて、誰かの入れ知恵や、うわべの損得や、まわりのアドバイスまがいのおせっかいにしたがってきめてしまうと、ハズレだったとき、その責任を自分ではなく外に帰してしまう。もっといいコンサルを、もっといい就活サイトを、もっと条件がいいところを。それに終わりはないし、他罰的で、未来につながらない。 就活や婚活のみならず、高校生の受験でも、キャリア教育と称していかに合理的にベストなところを選ぶかがもてはやされてきている。就職率、親元から通えるか、有名か、学生の質はどうか。うんぬん。 めんどくさいことはやめて、すべて総合して、ジャケで決めたらいいと思う。 人は見た目が9割、というのは、あまりいい言い方ではない。あるべき見た目から外れているのは人間ではないというロジックに使われるからだ。実際、制服がある学校の服装指導でこの言葉は常套句のように使われているらしい。制服が乱れていると、心も乱れている、うんぬん。 そんなんじゃなく、 人は直感で感じたものが9割、というのがほんとのところだろう。直感というのは、心につながる。人は見た目ではなく、内なる声で判断するのがいいのだ。 なにがいいのか選びきれないからこそ、もっとジャケ買いをすべきなんだと思う。

    ジャケ買い

    • 2013.03.18 Monday
    • 15:19
    レコードをジャケ買いすることがある。見て、パッと、これだ、と思うものを買う。アタリのときもあるし、そうでもないときもある。何回か場数を踏むことで、上達してきた気になったりする。ジャケ買い、という選び方は、誰かの入れ知恵や流行りではなく、自分で買った!、という気になる点、よいと思う。 婚活、就活、いろいろやっているが、多くの選択肢からベストなものを選ぶのは難しく辛いということがそれらの活動の熾烈さから伺える。自分を分析し、市場を分析し、コンサルうんぬんのアドバイスをきき、これだ、と選んでも、「あんまりよくない。もっと自分にあったのがあんじゃないかしら」と苦悩は続く。挙句は、いいものに巡り合えないのは自分が下劣だからだと卑屈になり、ブラックな企業や結婚相手を甘んじて受け入れてしまう。 そんな苦悩も、ジャケ買いをすればなくなる。つまり、直感に従う。Follow your heart. ジャケ買いは、いいかげんな決め方のようでいて、一番正確さのある決め方なんじゃないだろうか。それに、内なる声、直感に従ってきめたのなら、ハズレでも責任は自分に帰する。自分の直感を高めるように、心を大事にするように、改善していけばいい。ハズレでも、未来につながる。 ジャケ買いをかるんじて、誰かの入れ知恵や、うわべの損得や、まわりのアドバイスまがいのおせっかいにしたがってきめてしまうと、ハズレだったとき、その責任を自分ではなく外に帰してしまう。もっといいコンサルを、もっといい就活サイトを、もっと条件がいいところを。それに終わりはないし、他罰的で、未来につながらない。 就活や婚活のみならず、高校生の受験でも、キャリア教育と称していかに合理的にベストなところを選ぶかがもてはやされてきている。就職率、親元から通えるか、有名か、学生の質はどうか。うんぬん。 めんどくさいことはやめて、すべて総合して、ジャケで決めたらいいと思う。 人は見た目が9割、というのは、あまりいい言い方ではない。あるべき見た目から外れているのは人間ではないというロジックに使われるからだ。実際、制服がある学校の服装指導でこの言葉は常套句のように使われているらしい。制服が乱れていると、心も乱れている、うんぬん。 そんなんじゃなく、 人は直感で感じたものが9割、というのがほんとのところだろう。直感というのは、心につながる。人は見た目ではなく、内なる声で判断するのがいいのだ。 なにがいいのか選びきれないからこそ、もっとジャケ買いをすべきなんだと思う。

    都会

    • 2013.03.17 Sunday
    • 13:06
    都会には人がたくさんいる。人があつまるところに、人は集まる。そもそもいったいなぜそこに人が集まったのか。なんとなく、おもしろそうなことをしてる人が最初にいて、おもしろそうだから集まって、あれよあれよ、と。 都会ではたくさんのものが売っている。物はあふれている。もので埋まらない隙間は笑うせえるすマンが埋めてくれる。でも、都会の魅力はものの多さか。それよりも、なんともいえない、おもしろさ。 面白そうなところに人は集まる。つまらないところから人はいなくなる。便利さ、物質の豊かさより、おもしろさ。楽しそうなところに人は集まる。 忙しいからつらいわけでもないし、ヒマだから楽しいわけでもない。ものが多いから魅力的なわけではない。便利だから人が集まるわけではない。その中核にあるのは、おもしろさ。